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検索結果

  1. Charvel / シャーベル シャーベル(英語名:Charvel)は、フェンダー子会社のジャクソン・シャーベル・マニュファクチャリングのギターブランド。80年代にディンキーと呼ばれるギターシェイプの代名詞を残した。
  2. Eliane Elias / イリアーヌ・イリアス イリアーヌ・イリアス(Eliane Elias、1960年3月19日 - )は、ブラジル出身のジャズ・ピアニスト、ボーカリスト。1980年代よりアメリカで活躍している。洗練されたピアノ・テクニックと温もりのある歌唱で、ジャズからボサノヴァ、ポップスまで幅広く演奏している。イリアーニ・アライアスあるいは単にイリアーヌという表記もある。 1960年、ブラジルのサンパウロ生まれ。6歳よりクラシックピアノを始める。幼少からビル・エヴァンスやハービー・ハンコック、キース・ジャレットなどをコピーするジャズ好きとなる。ブラジル国内でプロ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタート。トッキーニョ、セバスチャン・タバジョスらと共演する。1980年、パリへのツアー中にベーシストのエディ・ゴメスに認められ、アメリカへの足がかりを得る。渡米後、エディの強いすすめもありステップス・アヘッドへ参加。美貌もあいまって一躍注目を浴びる。1983年、トランペッターのランディ・ブレッカーと結婚。1985年、夫のプロデュースによりコ・リーダー作となるデビュー・アルバム『アマンダ』を発表。その後ランディとは離婚するが、1...
  3. Elmore James / エルモア・ジェームス エルモア・ジェイムス(Elmore James, 本名: Elmore Brooks, 1918年1月27日 - 1963年5月24日)はアメリカ合衆国のブルース・ギタリスト。エレキギターによるボトルネック奏法を主とした野性的な音を特徴とし、後のロックギタリストにも影響を与えた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」(2011年)において第30位。 ミシシッピ州リッチランド生まれ。10代の頃から「クリーンヘッド」「ジョー・ウィリー・ジェームス」などの名前で音楽活動を始め、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII、ハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソンらと共演した。1951年に「ダスト・マイ・ブルーム」がヒット。同曲は、ブルース・ロックのミュージシャンによるアルバムでのカバーやライブで演奏されることが多い。曲の冒頭で聴かれる彼のワイルドな3連スライド・ギターリフは他のブルース曲にも借用される。またドゥーワップミュージシャンのジェシー・ストーンズの曲“Down in the Alley”でも多少変化させたリフが借用されている。なおエルビス・プレスリーは、この“D...
  4. George Clinton / ジョージ・クリントン ジョージ・クリントン(George Clinton、1941年7月22日 - )は、アメリカのミュージシャンで思想家、ファンク・ミュージックの継承者の一人。 ノースカロライナ州に生まれ、ニュージャージー州で育つ。現在はフロリダ州に住んでいる。元は床屋であった(実家が床屋)。クリントンは、床屋で仲間たちとドゥーワップ・グループを結成し、それがやがてパーラメンツとしてデビューするきっかけとなった。クリントンはPファンクの創始者として、パーラメント、ファンカデリック[1]を率いる他、数多くの独創的ブラック・ミュージックの基礎を築いた。ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンと共にファンクの代表的なミュージシャンとされ、ファンクを継承・発展させた功績が評価されている。また、奇抜なファッションでも知られている。コミック中心のペドロ・ベル作のレコード・ジャケットや、ステージにおけるセクシャルな演出と、ユニークな歌詞が特徴である。また、超満員のコンサートで、メンバー達はオムツ姿や髭だらけの女装姿(ウェディングドレス等)で登場したりもする。過去に40作以上の楽曲がソウル・チャートで好調なチャート・...
  5. Gabrielle / ガブリエル ガブリエル(英: Gabrielle、1969年7月19日 - )は、イギリス・イングランドのロンドン出身の女性ポップ・シンガーである。 1993年、シングル「ドリームズ」(Dreams)でデビュー。当曲は大ヒットし、全英シングルチャート1位を記録した。当時、日本で深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』(フジテレビ)でもUKシングルチャートNo.1を獲得。この時代の主な代表曲としては、「ゴーイング・ノーウェア」(Going Nowhere)、「リトル・モア・タイム」、「ウォーク・オン・バイ」(Walk On By)(バート・バカラック/ディオンヌ・ワーウィックのカバー)、「イフ・ユー・エヴァー」(イースト17とのデュエット)がある。1996年、ガブリエルの元恋人(息子の父親)が殺人罪で投獄された際にタブロイド紙で大騒ぎとなり、しばらくガブリエルは休養した。復帰後の2000年、ボブ・ディランの「天国への扉」をサンプリングで使用した「ライズ」(Rise)が大ヒットし、自身2曲目となる全英シングルチャート1位を記録した。また、同名のアルバムについても、全英アルバムチャートで1位...
  6. Funkmaster Flex / ファンクマスター・フレックス アストン・テイラー・ジュニアはニューヨークのブロンクス区でジャマイカ移民の両親のもとに生まれた。 父のDJアストン・ジョージ・テイラー・シニアはサウンドシステムのプロフェッショナルだった。 彼は厳格で宗教的な家庭で育った。 16歳のとき、地元のナイトクラブでDJを始める。 アストン・ジョージ・テイラー・ジュニア(1968年8月5日生まれ)、専門的にはファンクマスター・フレックスとして知られ、アメリカのディスクジョッキー、ラッパー、レコードプロデューサー、俳優、ニューヨークのラジオ局ホット97の司会者である。1992年、当時ポップラジオ局であったニューヨークのHot 97で、初のヒップホップラジオ番組の司会となった。...
  7. Hiroyuki Okita / 沖田浩之 沖田 浩之(おきた ひろゆき、1963年1月7日 - 1999年3月27日)は、日本の元アイドル、俳優。本名、置鮎 広之(おきあい ひろゆき)。愛称はヒロくん。身長175cm、体重63kg。血液型はA型。神奈川県川崎市出身。神奈川県立川崎北高等学校卒業、青山学院大学経済学部経済学科中退。 中学生時代から暴走族の集会に顔を出し、高校生になってからは新宿のディスコに通う不良少年だった。中学の仲間の知り合いがブティック「竹の子」でアルバイトしていたことから、沖田のグループは竹の子の服を着るようになるが、目立つ上、他の客に嫌がられるため、ディスコでは竹の子族の出入りが禁止される。そこで土曜の夜は普通の服でディスコで遊び、日曜正午は竹の子の服で、原宿の歩行者天国で踊るようになった。乱奈阿珠 (ランナーズ)というチームに所属していた。竹の子族は若者の支持を集めマスコミも注目。プチセブンが沖田の特集記事を掲載したのがきっかけで、沖田のファンが急増する。ファンに囲まれ踊ることもままならなくなり、1980年、高校3年生の5月で竹の子族をやめ、大学進学のため受験勉強を始める。一方、多くの芸能プロダク...
  8. Hikashu / ヒカシュー ヒカシュー(HIKASHU)は、日本のバンド。日本におけるテクノポップ黎明期の1970年代末から活躍し、P-MODEL、プラスチックスとともに「テクノ御三家」と呼ばれた。初期以降はテクノポップの枠にとどまらず、前衛音楽や前衛ロック、フリージャズの分野へと開拓していった。 1977年、巻上公一がプロデュースする演劇で音楽を担当した井上誠と山下康の2人によって結成された。そこへ巻上、海琳正道(三田超人)、戸辺哲によるバンド「ル・インチ」が合流、1978年ごろから5人で活動を開始して初期のスタイルとなる。というが、当時のメンバー変遷についてはもっと複雑であり、著書『ぼくこんなにおバカさん』の中で詳しく語られている。デビューから数年間のイメージでニュー・ウェイヴ・ロックやテクノポップ・バンドとして認知されているが、結成当初から演劇、フリーインプロヴィゼーション、民族音楽を取り入れたアプローチを続けていた。その後もジャズ、クラシック、雅楽など幅広い要素を取り込みながら活動を続け、現在はインプロヴィゼーションを演奏の根幹に取り込みながら、即興と作曲が共存するノンジャンルの音楽を志向している。...
  9. Hiroshi Miyagawa / 宮川泰 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、タレントである。和製ポップスの開拓者の一人であり、1960年代のスター、ザ・ピーナッツの育ての親として数々のヒット曲を生み出し、他の歌手にも楽曲を提供するなど、日本ポップス界に大きな足跡を残した。また『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』、『宇宙戦艦ヤマト』、『ズームイン!!朝!』、『午後は○○おもいッきりテレビ』、『ズームイン!!SUPER』などテレビ音楽にも多数の作品を提供。ジャズの感覚を生かした軽妙ながらインパクトのある「宮川節」と称される音楽は、時間の短いTV番組のオープニングに重用された。「マツケンサンバII」の作曲などで広く知られる作曲家・編曲家の宮川彬良(本名:晶)は長男。バイオリニストの森由利子は義理の娘である。 作曲した作品も多いが、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」など、ザ・ピーナッツ関連の楽曲をはじめ、編曲(アレンジ)のみ手がけた作品も洋楽を中心に多数存在する。日本ポップス界の重鎮的存在ながらも、目立ちたがり屋で笑いが大好きな性格から、自らも積極的にTV番組...
  10. Herman's Hermits / ハーマンズ・ハーミッツ ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)は、イギリスのバンド。1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョン勢力のバンドとして活動した。 1964年8月に発表したデビュー曲「朝からゴキゲン」がイギリスで大ヒットし、翌1965年にはビートルズの成功に続くべくアメリカに上陸する。ヴォーカルのピーター・ヌーンのアイドル的ルックスと、清潔感のある親しみやすいイメージ戦略で高い人気を博し、「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」など多くの全米トップ10ヒット曲を連発した。1965年から1966年にかけてアメリカで大きな人気を獲得し、1966年にはMGMから主演映画『ホールド・オン!(英語版)』が封切られ、2月に来日公演を果たす。1967年には「見つめあう恋」が大ヒットするも、以後の全米ツアーでは前座のザ・フーやマッシュマッカーンに食われる始末となる。アメリカでは「雨にさよなら」「恋のミュージアム」などのスマッシュヒット(イギリスではノーチャート)を放つも、かつての勢いはなくなる。1968年には映画『レッツ・ゴー!ハーマンズ・ハーミッツ(英語版)』が封切られ...
  11. Hiroshi Fujiwara / 藤原ヒロシ 藤原 ヒロシ(ふじわら ひろし、1964年2月7日 - )は、三重県伊勢市出身のファッション・デザイナー、ミュージシャン。fragment design主宰。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授。セツ・モードセミナー中退。父は競輪選手の藤原武である。 1964年、三重県伊勢市出身。高校時代から新宿のディスコ「ツバキハウス」へ通い、1982年に大貫憲章主催のクラブ・イベント「ロンドン・ナイト」でのファッション・コンテストにて優勝。ロンドン行きのチケットを手にし1ヶ月滞在。ロンドンではセックス・ピストルズプロデューサーでありヴィヴィアン・ウエストウッドのパートナーだったマルコム・マクラーレンら当時のシーンの中心人物と交流する。 マルコムの勧めにより、当時新ジャンルであったヒップホップカルチャーを体験すべく、翌1983年にニューヨークへ渡航。帰国後、東京でディスクジョッキーの活動を開始する。黎明期であった東京のクラブシーンにおいて日本人で初めて「スクラッチ」を披露するなど、NYで得た最先端のスキルとセンスを導入させる。 1985年高木完とのヒップホップユニット、タイニー・パンク...
  12. Hiroyuki Numba / 難波弘之 難波 弘之(なんば ひろゆき、1953年9月9日 -)は、日本の作曲家・編曲家、SF作家である。東京都豊島区巣鴨出身。学習院大学法学部法学科卒。東京音楽大学音楽学部教授(作曲指揮(映画放送音楽コース))。父の渡辺弘はジャズ・アコーディオン奏者(サックス奏者の渡辺弘とは同姓同名の別人)で、SF作家広瀬正のバンド仲間だった。母は上野音楽学校(東京芸術大学の前身)出身の声楽家。祖父の家を継ぐために養子になったため、難波姓となった。長女は歌手でシンガーソングライターの玲里。...
  13. Dev Large / デヴ・ラージ DEV LARGE(デヴラージ、本名:今 秀明(こん ひであき)、1969年11月24日[要出典] - 2015年5月4日[1])は、日本のヒップホップミュージシャン、MC、トラックメイカー、プロデューサー、DJ、リミキサー。1990年代にBUDDHA BRANDのMC、リーダーとして活動。2005年にアーティスト名をD.Lに改名。また、レーベル「EL DORADO RECORDS」及び「DEVASTATOR RECORDING」の総帥を務めた。愛称は「コンちゃん」。 1969年、東京都渋谷区代々木に生まれる。小学4年生の時に親の転勤に伴い、中学卒業までニューヨークで暮らす。その後、日本に戻り高校を卒業。1988年、再び渡米しニューヨークでCQ、NIPPS、DJ MASTERKEYと、ヒップホップグループ「うわさのチャンネル」を結成。1990年にグループ名をBUDDHA BRANDに改名し、本格的に活動を開始。この頃、アメリカ・ニューヨークのヒップホップグループ、ウルトラ・マグネティック・MC'S(英語版)と親交があり、ウルトラ・マグネティック・MC'Sの楽曲「T...
  14. Destiny's Child / デスティニーズ・チャイルド デスティニーズ・チャイルド(英: Destiny's Child)は、アメリカ合衆国のR&B音楽グループ。1997年にデビュー以来3000万枚以上アルバムを売り上げている。日本ではデスチャの愛称で親しまれている。 オリジナルメンバーは4人組。テキサス州ヒューストン出身のビヨンセ(Beyoncé Knowles、本名:Beyonce Giselle Knowles 1981年9月4日 - )とラターヴィア(LaTavia、本名:LaTavia Marie Roberson 1981年11月1日 - )が1990年にグループを結成し、1992年にジョージア州アトランタ出身のケリー・ローランド(Kelly Rowland、本名:Kelendria Trene Rowland 1981年2月11日 - )、1993年にラトーヤ(LeToya、本名:LeToya Nicole Luckett 1981年3月11日 - )が加入し、カルテットを結成。ビヨンセとケリーは、デビュー後しばらくは従姉妹とされていたが、最近はビヨンセの父であるマシュー・ノールズの友人の娘とされている(...