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Hiroshi Fujiwara / 藤原ヒロシ

Hiroshi Fujiwara / 藤原ヒロシ

藤原 ヒロシ(ふじわら ひろし、1964年2月7日 - )は、三重県伊勢市出身のファッション・デザイナー、ミュージシャン。fragment design主宰。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授。セツ・モードセミナー中退。父は競輪選手の藤原武である。

1964年、三重県伊勢市出身。高校時代から新宿のディスコ「ツバキハウス」へ通い、1982年に大貫憲章主催のクラブ・イベント「ロンドン・ナイト」でのファッション・コンテストにて優勝。ロンドン行きのチケットを手にし1ヶ月滞在。ロンドンではセックス・ピストルズプロデューサーでありヴィヴィアン・ウエストウッドのパートナーだったマルコム・マクラーレンら当時のシーンの中心人物と交流する。

マルコムの勧めにより、当時新ジャンルであったヒップホップカルチャーを体験すべく、翌1983年にニューヨークへ渡航。帰国後、東京でディスクジョッキーの活動を開始する。黎明期であった東京のクラブシーンにおいて日本人で初めて「スクラッチ」を披露するなど、NYで得た最先端のスキルとセンスを導入させる。

1985年高木完とのヒップホップユニット、タイニー・パンクスを結成。1986年には日本初のクラブミュージックレーベルであるメジャー・フォースに参画。DJ HEYTAに師事してハウスミュージックのディスクジョッキーとしての活動を行う。90年代からは音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとして活動の場を広げ、小泉今日子、藤井フミヤ、UAらのプロデュースを手掛ける。2006年、ディスクジョッキーを廃業。ギター演奏による音楽活動を始める。2011年にYO-KINGとのユニットAOEQを結成し、同時にソロのシンガー・ソングライターとして現在まで活動中である。

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