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Hongkong Syndikat / 香港シンディカット 香港シンジカット(Hongkong Syndikat)は、80年代に活躍したドイツのシンセポップ音楽グループである。ブレーメン出身の装飾家兼ディスクジョッキーのブルーノ・グリューンベルク、グラフィックデザイナーのハルトムート・メラー、ゲルト・プレッツが西ベルリンで出会い、80年代初頭に香港シンディカットは結成される。彼らはレコード会社と契約し、1982年にデビューアルバム『Erster Streich』をリリースした。ファースト・シングル「Berlin Bleibt Doch Berlin」には、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンの言葉が引用されている。このファースト・アルバムは、まだドイツ語を中心に録音されていたが、その後のリリースでは、商業的な理由から英語に切り替えられている。1984年にはニューヨークで初のライブを行い、同年末にはロンドンでヴィサージュのメンバーであるラスティ・イーガンをプロデューサーに迎え、セカンドアルバム『オリンピア』をレコーディングした。このアルバムでは、他のアルバムと同様、カート・クレスがドラムに座っていた。1985年、3枚目のアルバム『Neve...
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HUSKING BEE / ハスキング・ビー HUSKING BEE(ハスキング・ビー)は、日本のロックバンド。略称は「ハスキン」「ハスビー」。元ini所属。1994年に結成され、2005年に解散。2012年に新メンバーを従えて再結成。バンド名は英語で「トウモロコシの皮むき会」の意味。 1994年の結成後、初期の頃は当時日本においてエモ/スクリーモ等の音楽を形容する言葉になじみがなかったためか、メロコアバンドの位置づけで認識されていた。後にエモ等のアーティストを多数輩出するDOUGHOUSEより海外版をリリースすることにより、徐々に日本においてもエモの先駆者という扱いを受ける。 2枚目のアルバム『PUT ON FRESH PAINT』から『FOUR COLOR PROBLEM』までの1990年代後半から2000年代には絶大な基盤を確立していった。初期の音楽性は、当時隆盛を極めていたメロコアブームに追随するような、テンポの速い演奏に英語詞のボーカルを乗せるといったものだったが、次第にジミー・イート・ワールドやウィーザーに代表される泣きメロを重視したエモ、パワー・ポップを彷彿させるようなものへと変遷していった。また、それに伴って...
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House Of Pain / ハウス・オブ・ペイン ハウス・オブ・ペイン(House Of Pain)はアメリカ合衆国のヒップホップグループである。 1988年に結成され、白人(アイルランド系アメリカ人など)で構成される最初のヒップホップグループのひとつとして知られる。3枚のアルバムをリリースした後、1996年に一度解散、2010年から活動を再開している。グループ名は、イギリスの小説家であるH・G・ウェルズが1896年に発表した小説『モロー博士の島』の一節に由来する。カリフォルニア州ロサンゼルスを活動拠点に、「ウエスト・コースト・ヒップホップ(ウェッサイ)」勃興時における人気グループとして「en:Jump Around」などのヒット曲を送り出したが、キャリア後半からはイースト・コースト的なオールドスクール志向を印象付けた。また、非黒人のメンバー構成やその音楽性からしばしば「サイプレス・ヒル」一派とも呼ばれるなど、非常に硬派なハードコア・グループとして認知される。グループ解散中は、グラミー賞を受賞したリード・ラッパーのエヴァーラストをはじめ、各メンバーともソロ活動や別プロジェクトでも成功を収めた。...
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Hitomi Tohyama / 当山ひとみ 当山 ひとみ(とうやま ひとみ)は、日本の歌手。別名義にPENNYがある。沖縄県出身。 中学2年まで沖縄で過ごし、以降高校生までアメリカのオークランド・ハイスクールで過ごす。母は沖縄人だったが、父、姉、友人と、周りが英語で話す環境にいたため、デビューまで日本語はきちんと話せず、日本語で歌ってデビューすることは考えていなかった。それでもプロデューサーの兼松が「英語はいつでも歌えるから、日本で歌うならまずは日本語で歌え」と言われ、1981年に日本コロムビアから日本語の歌詞でデビューした。デビューしても日本語はきちんと話せず、ライブでもMCを間違えるので、1年は台本(康珍化作成)があった。ソロ活動の他、セッション活動も行う。1991年にはユニゾネア(UNISONAIR)のボーカリストのジェフリー・ジェムズ(Geoffrey Gems)とユニットCONVERSATIONを結成していた。「妖獣都市」や「マンガ日本経済入門」といったアニメ作品の主題歌も歌った。...
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Hot Butter / ホットバター Hot Butter はキーボード奏者の Stan Free を中心としたアメリカのインストゥルメンタルバンド。他のバンドメンバーは、ジョン・アボット、ビル・ジェローム、スティーブ・ジェローム、そしてダニー・ジョーダンとデイヴ・マラニー。 彼らは、1969年に作曲者のガーション・キングスレーが録音したムーグシンセサイザーのインストゥルメンタルヒット「ポップコーン」の1972年版でよく知られている。 この曲は、フランスで100万枚、イギリスで25万枚、世界中で200万枚以上の売り上げを記録し、世界的ヒットとなった。...
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Hiwatt / ハイワット ハイワット(Hiwatt )はイギリスのエレクトリックギター、エレクトリックベース用アンプの製造会社。マーシャルやヴォックスと共に、“ブリティッシュ”ギターアンプサウンドのイメージを形成した。また、コンパクトエフェクターもいくつか作っている。
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Iruka / いるか イルカ(1950年12月3日 - )は、日本のフォークシンガー、絵本作家。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓は保坂(ほさか)。 東京都中野区出身。中野区立谷戸小学校、東京文化中学校、東京文化高等学校を経て女子美術大学卒業。芸名の由来は、女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた当時、皆がギターケースを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」と言ったのがきっかけで、周囲からイルカと呼ばれるようになった。小学校では音楽部鼓笛隊に所属しベルリラを担当。小学校の同級生には作曲家・編曲家の船山基紀がいる。各メディアのインタビューや対談等で、ベジタリアンであることを公言している。1970年、シュリークスのメンバーとしてデビュー。1974年、「あの頃のぼくは」でソロデビュー。1975年から1976年に掛けて、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」をカバーして大ヒットした。ほか1977年に「雨の物語」、1979年に「海岸通」(風・伊勢正三の作詞・作曲によるカバー)などもヒットした。1977年から1980年にかけて、絵本『ちいさな空』全4巻を発表した。1978年半ば...
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Instant Funk / インスタントファンク インスタントファンクは、アメリカの1970年代と1980年代のディスコバンドで、ディスコの名曲「I Got My Mind Made Up (You Can Get It Girl)」で有名である[2]。インスタント・ファンクはレイモンド・アール、ドラマーのスコッティ・ミラー、ギタリストのキム・ミラーによりニュージャージー州トレントンで結成された。グループは当時ミュージック・マシーンと呼ばれ、ザ・マンハッタンズ、バニー・シグラー、そしてTNJsのバックバンドとして大成功を収めた。キャリアを通じて、インスタント・ファンクはルー・ロウルズ、ロレアッタ・ホロウェイ、オージェイズ、MFSB、カーティス・メイフィールド、エヴリン・チャンパン・キング(ヒットシングル「シェイム」のバックバンド)など、多くのスターのバックバンドを務めることになる。1976年にフィラデルフィアに移転したグループは、自分たちのサウンドを形成し始めると、ファースト・アルバム『Get Down With the Philly Jump』をリリースした。このアルバムに続いて、元MFSBのギタリスト、ノーマン・ハリスの新し...
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India.Arie / インディア・アリー インディア・アリー(英語: India Arie、本名: インディア・アリー・シンプソン、1975年10月3日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州デンバー出身の女性音楽家、シンガーソングライター、音楽プロデューサーである。アルバムの総売り上げは、アメリカ国内で330万枚以上、全世界で1,000万枚を超える。グラミー賞には、ベストR&Bアルバム賞を含む23回ノミネートされ、4回受賞している。なお、資料によっては「インディア.アリー (India.Arie)」と表記されているものも存在する。 インディアはジョイスとラルフ・シンプソンの娘として、コロラド州デンバーで生まれた。彼女の音楽的才能は、若い頃、両方の両親によって奨励された。母親は元歌手(10代でモータウンと契約し、スティービー・ワンダーやアル・グリーンのオープニングを務めた)で、現在は彼女のスタイリストである。彼女にはJ'Onという兄とペンシルベニア州フィラデルフィアの妹Mary A Martinがいる。アリーはアフリカ系アメリカ人で、DNA分析によると、彼女はシエラレオネのメンデ人、リベリアのクル人、ギニアビ...
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INOJ / イノイ アヤナ・ポーター(1976年11月27日生まれ)は、INOJ(イノイ)のステージネームで知られるアメリカのシンガーソングライターである。1997年のデビューシングル「Love You Down」は、Ready for the Worldの1986年のヒット曲のカバーであった。この曲は全米で25位を記録した。1998年のデビューアルバムも『Ready for the World』と名付けられた。1998年にコロンビアレコードからシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」のカバーバージョンをリリースし、アメリカ、カナダ、ニュージーランドでトップ10入りのヒットとなる。また、Anita Wardの "Ring My Bell "のバージョンもリリースしている。INOJはウィスコンシン州マディソンで生まれた。赤ん坊の頃、話す前からベビーベッドでウォーの「シスコ・キッド」を歌い始めた。高校の合唱団で歌っていた。ボルチモア大学はワシントンD.C.に近く、ニューヨーク市からもそれほど遠くないため、音楽プロデューサーとつながるチャンスがあると考え、入学を決意した。大学2年の...
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Ice Cube / アイス・キューブ オシェア・ジャクソン・シニア(1969年6月15日生まれ)は、アメリカのラッパー、俳優、映画製作者である。1988年のN.W.Aのアルバム『Straight Outta Compton』での彼の歌詞は、ギャングスタラップの幅広い人気に貢献し、彼の政治ラップのソロ・アルバム『AmeriKKKa's Most Wanted』(1990)『死亡証明』(1991)『The Predator』(1992)は批判的にも商業的にも成功を収めました。1990年代初頭から映画活動も活発に行っている。 2016年にN.W.Aのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。 ロサンゼルス出身のジャクソンは、1986年に最初のラップグループ「C.I.A.」を結成。1987年にはイージー・E、ドクター・ドレーとともに、ギャングスタ・ラップの先駆的なグループ「N.W.A.」を結成した。そのリード・ラッパーとして、西海岸のヒップホップの初期のアイデンティティを形成し、東海岸のラップと差別化を図るのに貢献した記念すべきアルバム『Straight Outta Compton』ではドレーの一部の歌詞、イージーの...
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Inner City / インナーシティ インナーシティは、1987年にミシガン州デトロイトで結成されたアメリカの音楽ユニットである。当初は、レコードプロデューサー兼作曲家のケビン・サンダーソンと、イリノイ州シカゴのヴォーカリスト、パリス・グレイの2人で構成されていました。 サンダーソンは、ジュアン・アトキンス、デリック・メイとともに、後にデトロイト・テクノ・サウンドの起源となるベルヴィル・スリーの一人として有名であり、高校時代の友人でもある。2018年2月、ビルボード誌は彼らを史上69番目に成功したダンスミュージックアーティストにランクインさせた。 インナーシティはアメリカのビルボード・ダンスチャートで5回首位を獲得し、イギリスのシングルチャートで9曲のトップ40ヒットを記録した。グループは初期のダンスフロアとポップミュージックのクロスオーバートラック「Big Fun」(イギリス8位、アメリカダンス1位)と「Good Life」(イギリス4位、アメリカダンス1位)で最もよく知られている。...
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Ibanez / アイバニーズ アイバニーズ(Ibanez)は、日本の楽器メーカー、星野楽器の製造するギター・ベースに名付けられたブランド。第二次大戦前に星野書店の楽器部として創業、星野楽器が輸入していたスペインのギター製作家サルバドール・イバニェス(スペイン語版、英語版)の工房がスペイン内戦によって廃業した後、星野楽器が商標を買い取った事が始まり。当初はイバニェス・サルバドール(Ibanez Salvador)ブランドであったが、後にIbanezとされた。かつてIbanezの日本語表記は「イバニーズ」であったが1980年代半ば(1986年発行の同社のカタログ「Profile」から)、海外のギタリストが発音する英語読みをカタカナ化した「アイバニーズ」を正式な呼称と改めた。...
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Inner Life / インナーライフ 1979年に結成され、「I'm Caught Up (In a One Night Love Affair)」(1979)、「Ain't No Mountain High Enough」(1981)、「Moment of My Life」(1982)で成功したアメリカのディスコユニット。 ジョセリン・ブラウン と リロイ・バージェス(元 Black Ivory)がボーカルで参加している。プロデュースとアレンジはパトリック・アダムス。エンジニアはボブ・ブランクとジョー・アルロッタが担当し、アルバムはもともとエグゼクティブ・プロデューサーのグレッグ・カーマイケルのために制作された。「Ain't No Mountain High Enough」はおそらくDJラリー・レバンによるクラシック・リミックスが最もよく知られている。...
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Jackie McLean / ジャッキー・マクリーン ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean、1931年5月17日 - 2006年3月31日)は、アメリカ・ニューヨーク出身のジャズ・サックス奏者。本名は John Lenwood McLean。「レフト・アローン」等の演奏で知られる。 ジャッキーの父はギタリストで、ブルース・ミュージシャンのタイニー・ブラッドショウのバックも務めた。ハイスクール時代には既に、アルト・サックスの腕前は上達しており、ケニー・ドリューやソニー・ロリンズと共演。1951年10月、ソニー・ロリンズやアート・ブレイキーと共に、マイルス・デイヴィスのアルバム『ディグ』の録音に参加。その後も何度かマイルスと共演。1955年、初のリーダー・アルバム制作。ほどなくプレスティッジ・レコードに移籍。また、1956年1月には、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』に参加。1958年には、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』にも参加。1959年、バンド・リーダーとしてブルーノートと契約。同年にはウォルター・ビショップやジミー・ギャリソン等を従えた『スイング・スワング・スインギン』発表。また、1960年にはマル・ウ...
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Ja Rule / ジャ・ルール ジェフリー・ブルース・アトキンス(1976年2月29日生まれ)、芸名Ja Rule(/dʒɑ)で知られるアメリカのラッパー、俳優である。ニューヨークで生まれ育った彼は、1999年にVenni Vetti Vecciとそのリードシングル「Holla Holla」でデビューした。2000年代、Ja RuleはIrv GottiのMurder Inc.レコードと契約した。Records(旧社名:The Inc. 1999年から2005年にかけて、Ja Ruleは米国Billboard Hot 100チャートのトップ20に入るヒット曲を複数生み出した。Ruleは、Lil' Mo、Vita、Ashanti、Caseとのそれぞれのコラボレーションで、2つのAmerican Music Awardsと4つのGrammy Awardsにノミネートされた。プラチナセラーのデビュー作「Venni Vetti Vecci」(1999年)の後、2枚目と3枚目のアルバム「Rule 3:36」(2000年)、「Pain Is Love」(2001年)をリリースしました。両作品ともアメリカのビルボード...