コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

検索結果

  1. Dragon Ash / ドラゴン・アッシュ Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本のミクスチャー・ロックバンド。JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUAD所属。CDの総売上は1500万枚以上。バンド名の「Dragon Ash」はKjが考えた造語であり、"drag on ash"(だらだらしていたら灰になる)という意味を込めているという説があるが、IKÜZÖNEはFAN CLUB(D.A.CREW)の会報でこれを否定していた。しかし、2006年ZeppTokyoでKjが真実だと発言。関西で開催されるロックフェス『RUSH BALL』や『京都大作戦』には開催当初からラインナップに名を連ねている。ROCK IN JAPAN FESTIVALに初年度から2019年まで全回出演し続けていた(2020年開催中止、2021年に記録が途切れた)。また過去20回の出演中、8回でトリ(さらにそのうち3回は大トリ)を務めていた。...
  2. Dru Hill / ドゥルー・ヒル Dru HillはアメリカのR&Bグループで、ソウル、ヒップホップソウル、ゴスペルなどをレパートリーとしていた。1992年にボルチモアで結成され、現在も活動を続けている。Dru HillはリードシンガーのMark "Sisqó" Andrews、Tamir "Nokio" Ruffin、Larry "Jazz" Anthony、James "Woody Rock" Greenからなり。1990年代には人気を博した。Haqq IslamのUniversity Recordsの傘下でIsland Recordsと契約し、Dru HillとEnter the Druという2枚のアルバムをリリースして成功を収めた後、1999年後半から2002年までの期間、SisqóとWoodyはソロアルバムをリリースし、分離していた。ウディのSoul Music LPはゴスペル音楽業界でそこそこの成功を収めたが、シスコーのデビューアルバムUnleash the Dragonとそのヒットシングル「Thing Song」「Incompl...
  3. Dreams Come True / ドリームズ・カム・トゥルー DREAMS COME TRUE(ドリームズ・カム・トゥルー)は、吉田美和と中村正人の2人からなる日本のバンドである[3]。ファンクとソウルに大きな影響を受けている。2002年まではキーボード担当の西川隆宏が在籍していたが脱退した。所属事務所はDCTentertainment、レコード会社はユニバーサルミュージック / DCT records。公式ファンクラブは「POWER PLANT」。一般的な略称はドリカム。さらに縮めてドリやDCTとも呼ばれる。 中村正人がソフィスティ・ポップに分類されるスウィング・アウト・シスターの音楽性と吉田美和の歌唱力に衝撃を受けた後、1988年1月に結成。元々は1985年から1988年までの間、とんねるずのコンサートツアーでバック・バンドのベーシストだった中村が、1988年のコンサートツアー時に吉田をバック・コーラスに招聘した事から始まった(デビュー前に小泉今日子のサポート・メンバーを2人が行っていたと言われることがあったが、吉田のみが出演しており、中村ではなく弟が参加していた)。当初は「CHA-CHA & AUDREY's Proj...
  4. Duesenberg / デューゼンバーグ デューゼンバーグ(Duesenberg Guitars)はドイツにあるエレクトリックギター、エレクトリックベース製造メーカーである。ディーター・ゲルスドルフ (Dieter Gölsdorf) が設計する同社のギターは、古典的なエレキギターの形状を踏襲していながら特有のアール・デコスタイルを持っている。ピックアップ(シングルコイル、ハムバッカー、P-90を含む全てのハードウェアは社内で設計されている。また、すべてのモデルの組み込みはハノーファーの同社工場で行われている。2008年現在、6弦または12弦のソリッドもしくはセミアコースティックのエレキギターをラインナップしている。カール・カールトンやロン・ウッド、キース・リチャーズ、マイク・キャンベル、日本人では椎名林檎のシグネチャーモデルを販売している。代表機種「Starplayer TV」の最新型ではピエゾピックアップをブリッジに内蔵している。また、ビグスビータイプのトレモロユニットを自社で開発している。ビグスビーを参考にし、弦をロック可能にしたトレモロユニットや、ボルトオンで取り付け可能なB-ベンダーユニットを製造している。...
  5. Edith Piaf / エディット・ピアフ エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 - 1963年10月10日)は、フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は、傷心的な声を伴った痛切なバラードが印象的で、その悲劇的な生涯を反映しているものが広く知られているが、実は、芝居仕立ての歌や軽快な曲なども歌っておりレパートリーは幅広い。有名な曲としては「ばら色の人生 La vie en rose」(1946年)、「愛の讃歌 Hymne à l'amour」 (1950年)、「ミロール Milord」 (1959年)、「水に流して Non, je ne regrette rien」 (1960年)などがある。 47歳になってまもなくの1963年10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により死去する。死はその翌日に公表されたが、同日に友人のジャン・コクトーが死去した。ピアフの死に衝撃を隠せず「何ということだ」と言いながら寝室へ入りそのまま心臓発作で息を引き取ったという。彼女の公式の命日は死が公表された10月11日とされている。遺体はパリのペール・...
  6. Edgar Froese / エドガー・フローゼ エドガー・フローゼ(ドイツ語: Edgar Froese, 1944年6月6日 - 2015年1月20日)は、ドイツのアーティストであり電子音楽の先駆者であり、電子音楽グループであるタンジェリン・ドリームの結成で最もよく知られている。 2003年以前の彼のソロおよびグループにおけるレコーディングでは「Edgar Froese」と記名されているが、2003年以降のソロ・アルバムには「Edgar W. Froese」という記名されている。 フローゼは、第二次世界大戦中のD-デイに東プロイセンのティルジットで生まれた。父親を含む彼の家族はナチスによって殺され、戦後、母親と生き残った家族は西ベルリンに定住した。彼は12歳からピアノのレッスンを受け、15歳でギターを弾き始めた。芸術に対する早期の適性を示した後、フローズは絵画や彫刻を学ぶために西ベルリンの芸術アカデミーに入学した。1965年、彼はサイケデリック・ロックや、ロックやR&Bのスタンダードを演奏した「ザ・ワンズ (The Ones)」と呼ばれるバンドを結成した。スペインでの演奏中、ザ・ワンズはカダケスにあるサルバドール・ダ...
  7. Elmore James / エルモア・ジェームス エルモア・ジェイムス(Elmore James, 本名: Elmore Brooks, 1918年1月27日 - 1963年5月24日)はアメリカ合衆国のブルース・ギタリスト。エレキギターによるボトルネック奏法を主とした野性的な音を特徴とし、後のロックギタリストにも影響を与えた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」(2011年)において第30位。 ミシシッピ州リッチランド生まれ。10代の頃から「クリーンヘッド」「ジョー・ウィリー・ジェームス」などの名前で音楽活動を始め、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII、ハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソンらと共演した。1951年に「ダスト・マイ・ブルーム」がヒット。同曲は、ブルース・ロックのミュージシャンによるアルバムでのカバーやライブで演奏されることが多い。曲の冒頭で聴かれる彼のワイルドな3連スライド・ギターリフは他のブルース曲にも借用される。またドゥーワップミュージシャンのジェシー・ストーンズの曲“Down in the Alley”でも多少変化させたリフが借用されている。なおエルビス・プレスリーは、この“D...
  8. Eliane Elias / イリアーヌ・イリアス イリアーヌ・イリアス(Eliane Elias、1960年3月19日 - )は、ブラジル出身のジャズ・ピアニスト、ボーカリスト。1980年代よりアメリカで活躍している。洗練されたピアノ・テクニックと温もりのある歌唱で、ジャズからボサノヴァ、ポップスまで幅広く演奏している。イリアーニ・アライアスあるいは単にイリアーヌという表記もある。 1960年、ブラジルのサンパウロ生まれ。6歳よりクラシックピアノを始める。幼少からビル・エヴァンスやハービー・ハンコック、キース・ジャレットなどをコピーするジャズ好きとなる。ブラジル国内でプロ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタート。トッキーニョ、セバスチャン・タバジョスらと共演する。1980年、パリへのツアー中にベーシストのエディ・ゴメスに認められ、アメリカへの足がかりを得る。渡米後、エディの強いすすめもありステップス・アヘッドへ参加。美貌もあいまって一躍注目を浴びる。1983年、トランペッターのランディ・ブレッカーと結婚。1985年、夫のプロデュースによりコ・リーダー作となるデビュー・アルバム『アマンダ』を発表。その後ランディとは離婚するが、1...
  9. Eminem / エミネム マーシャル・ブルース・マザーズ3世(Marshall Bruce Mathers III、1972年10月17日 - )は、エミネム(Eminem)の名で知られるアメリカ合衆国のヒップホップMC、プロデューサー、俳優。 エミネムというステージネームは、本名のイニシャル「M&M」を早口にしたら「Eminem」になったというものが由来とされる。また、「スリム・シェイディ(Slim Shady)」という道化師の別人格が存在するとし、スリムあるいはシェイディという名前が歌詞にも頻繁に登場する。スリム・シェイディのコンセプトを思いつく1997年以前から自身をエミネムと名乗っており、初期にM&Mの名で活動していた。全世界で2億2000万以上のアルバム&シングルを販売した、「史上最も売れたアーティスト」の1人であり、史上最も売れたラッパーである。グラミー賞を15回、アカデミー賞を1回受賞している。また、彼は9枚のアルバムをビルボード 200 で連続してナンバーワンでデビューさせた、唯一のアーティストでもある。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」に...
  10. EPMD / イーピーエムディー EPMD(イーピーエムディー)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドのブレントウッド発祥の2人組ラップ、ヒップホップグループである。メンバーはロングアイランド出身の、エリック・サーモンとパリッシュ・スミスの2人。EPMDは、エリック&パリッシュ・メイキング・ダラーズの略である。アルバム・タイトルに「ビジネス」という言葉が毎回使用されることも、特徴である。2人ともロジャー・トラウトマンとザップの大ファンで、彼らの曲をラップのバック・トラックにも使用していた。サウンドは硬質で、重量感のあるファンク・サウンド。1993年仲たがいして、ソロ活動をするようになった。1997年一時的に再結成するが、再びソロ活動に戻った。2006年10月に8年振りのライブを行ない、以降は断続的ではあるがEPMDとして活動している。...
  11. Eric Carmen / エリック・カルメン エリック・カルメン(Eric Carmen、本名:Eric Howard Carmen、1949年8月11日 - )はアメリカの歌手、ミュージシャン、作曲家。元祖パワー・ポップバンドのラズベリーズで活動後、ソロ歌手としてセルゲイ・ラフマニノフの作品を引用したバラードでヒットを飛ばした。 オハイオ州クリーブランド出身。幼少の頃から音楽に親しみ、3歳の時にはすでにクリーブランド研究所に登録された中で最も若い学生だった。6歳の時、叔母やクリーブランド・シンフォニー・オーケストラのバイオリニストからレッスンを受けた。11歳ころまで自身の歌を書きながら、ピアノを傍らにメロディ・メーカーとしての基礎を固める。また、ビートルズとローリング・ストーンズの影響でロックンロールにも目覚め、高校時代にバンドを結成。ジョンキャロル大学に入学し、Cyrus Erieというバンドを結成(エピック・レコードからシングルをリリース)。ギタリストのWally Bryson、友人のDave SmalleyとJim Bonfantiと共に新たにラズベリーズを結成する。ラズベリーズはキャピトル・レコードと契約後、...
  12. Eric Benét / エリック・ベネイ 父親が愛聴していたクラシック音楽に影響を受ける。姉・リサと従兄弟のジョージ・ナッシュ・ジュニアとグループ「ベネイ」を結成。1992年、セルフ・タイトルは7万枚を売り上げ、私生活では恋人タミーとの間に娘、インディアを授かる。しかしタミーは1993年4月24日に交通事故で死去した。1994年にワーナー・ブラザース・レコードと契約し、1996年に『トゥルー・トゥー・マイセルフ』でソロ・デビューし、高い評価を得る。1999年にセカンド・アルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を発表し、フェイス・エヴァンスをフィーチュアしたファースト・シングル"Georgy Porgy"(トトのカバー曲)も発表。タミアをフィーチュアしたセカンド・シングル「スペンド・マイ・ライフ・ウィズ・ユー」を発表、2000年のグラミー賞にノミネートした。これらを収録したセカンド・アルバム『デイ・イン・ザ・ライフ』はソウル・トレイン・ミュージック・アウォード、ベスト・R&B/ソウル・アルバム部門を受賞。また、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの30周年記念CDのレコーディングにも参加した。1999...
  13. Eric B. & Rakim / エリックB. & ラキム エリック・B&ラキムは、1986年にニューヨーク州ロングアイランドで結成されたアメリカのヒップホップデュオで、DJのエリック・B(エリック・バリア)とMCのラキム(ウィリアム・マイケル・グリフィン・ジュニア)により構成されている。 AllMusicは「80年代後半のラップのいわゆる黄金期に、エリック・B&ラキムはヒップホップ界で最高のDJ/MCチームとしてほとんど誰もが認めていた」と称賛した。NPRのトム・テレルは彼らを「現代のポップミュージック時代において最も影響力を持ったDJ/MCコンボ」と呼んでいる。 About.comの編集者は彼らを「史上最も偉大なヒップホップ・デュオ10組」のリストで第5位にランク付けし、ローリング・ストーンは「史上最も偉大なデュオ20組」のリストで第5位にランク付けした。...
  14. Erick Sermon / エリック・サーモン エリック・サーモン(Erick Sermon)は、1968年11月25日生まれのアメリカ人ラッパー、ミュージシャン、レコードプロデューサー。1980年代から1990年代のヒップホップグループEPMDのPMDとDJスクラッチと並ぶメンバーとして、またプロデュース業でよく知られている。 1986年、ヒップホップグループEPMDのプロデューサー兼アーティストとしてプロ活動を開始。1993年にDef Jamでソロアルバムのレコーディングを開始し、1997年にEPMDに再加入した。翌年、Sermon、Murray、RedmanはSugarhill Gangの「Rapper's Delight」のカバーバージョンをレコーディングした。EPMDは1999年に2度目の解散をした。 Sermonはその後、Universal Recordsで自身のDef Squadインプリントを設立し、2004年に6枚目のソロアルバム『Chilltown, New York』をリリースした。このアルバムはシングル「Feel It」(レゲエ/R&BシンガーSean Paulのサンプリングが含まれている...
  15. Eric Kupper / エリック・カッパー エリック・クッパーは幼少期からバンド活動を始め、1980年代半ばにキーボード奏者、ギタリスト、ソングライターとしてデヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズ、アーサー・ベイカー、マーク・カミンズ、ジャスティン・ストラウス、ピーター・ラウホーファー、リッチー・ジョーンズなどのプロデューサー/リミキサーに参加し本格始動した。1986年以来、彼は現代のあらゆる音楽ジャンルのアーティストのために2,000枚以上のレコードを演奏、リミックス、プロデュースしてきました。1980年代半ばから1990年代初頭にかけての彼の仕事、特にDef Mix Productionsとの仕事は、今日のハウスミュージックの基礎の一部であると考えられている。1995年に自身の名義でアルバム『From the Deep』をリリースしている。...
  16. Fantastic Plastic Machine / ファンタスティック・プラスチック・マシーン Fantastic Plastic Machine(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)は、音楽プロデューサー、リミキサー、DJとして活動する田中知之(たなか ともゆき、1966年7月6日 - )のソロプロジェクトである。現在は略称として使用されていたFPM(エフ・ピー・エム)を正式名称として活動中。 京都市上京区にて生まれる。中学生のころから音楽に興味を持ち、市立紫野高校時代から龍谷大学法学部在学時代までバンド活動をしていた。18歳のころ、ディスコで皿洗いのアルバイトをしていた関係でDJの存在を知り、人から勧められたこともあり、DJとしての活動を始めた。この頃について田中は朝日新聞とのインタビューの中で「バンドにターンテーブルを取り入れるなど、当時としては斬新なことをした」と振り返っている。バンドとしてデビューする予定だったが、デビュー先のレコード会社が倒産したため、就職活動をせざるを得なくなり、アパレル会社へ入社。その後出版社の誘いを受けて、雑誌編集者に転職した。その間、週に一度の割合でDJとしての活動を行い、給料でレコードを購入していたが、レコード店には自分のほしい...