Earl Hines / アール・ハインズ
アール・ハインズ(Earl Hines、1903年12月28日 - 1983年4月22日)は、アメリカ人ジャズ・ピアニストでバンド・リーダー。
ハインズはジャズ・ピアノの開発途上で最も影響力のある人物の一人だったとされる。
アール・ハインズ・ビッグバンドのメンバーだったチャーリー・パーカーの同僚でトランペッターのディジー・ガレスピーは、「彼のピアノは現代的ハーモニーの基本である。シカゴ出身のこの小さな男がジャズ・ピアノのスタイルを変えた。バド・パウエルやハービー・ハンコックのルーツは彼だ。皆、彼の後に来た。アール・ハインズがいなければ、今のジャズ・ピアノがどのようにプレイされたのか見当もつかない。個人差はあれど、現代のピアノ・スタイルはアール・ハインズをお手本としている」と書いた。
アール・ハインズが生まれたのはデュケインで、ペンシルベニア州ピッツバーグの市内中心部から12マイル離れていた。
1925年(22歳)、多くの家族会議の後、ハインズはイリノイ州シカゴに移住した。そこはその頃、世界のジャズの中心であり、ジェリー・ロール・モートンやキング・オリヴァーが活躍していた。そこでルイ・アームストロングという名の青年と知り合い、親友になり、共演するようになった。
アームストロングは最初の自伝でハインズとの出会いを、
「1926年初頭に、アースキン・テイト教授が、ヴェンドーム劇場の彼の小さな交響楽団に参加しないかと誘ってくるようになり、しばらくして僕は引き受け、アースキンと一年いっしょにいた。さらに知識を得られたんで、それは僕にとって良いことだった。あの偉大なスイング・ピアニスト、アール・ハインズと知り合ったのはヴェンドームでだった。アールは鍵盤をスウィングさせられた。彼と僕は最初からお互いを気に入り、後に何度も会うことになった。ヴェンドームに行ってから数か月して別の大きなチャンスがやってきた。アールと僕は劇場が夜に店じまいしてからサンセット・キャバレーで共演することを頼まれた。そこは当時は(シカゴの)サウスサイドの最も洗練され、最も人気のあるナイトクラブの一つだった」