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Martin / マーティン マーティン (Martin、C.F.Martin & Co., Inc.) 社は、アメリカのギター・マンドリン・ウクレレメーカー。アコースティックギターのトップ・ブランドとして知られる。1970年代に当時の日本の輸入代理店であった東海楽器のカタログ表記では「マーティン」と表記されているが、「マーチン」と表記されることもある。ハンク・ウイリアムス、エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、クラレンス・ホワイト、ポール・サイモン、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、ジミー・ペイジ、クロスビー・スティルス&ナッシュ、ニール・ヤングなど、列挙にいとまがないほど世界中のミュージシャンに愛用されてきた。日本でも1950年代後半頃から駐留米軍関係者が持ち込んだ楽器が出回り始め、やがて一部楽器店が取扱いを開始。かまやつひろしは同社のアコースティックギターD-28を1960年代前半には入手していた。1960年代中頃からのフォークブームを機に多くのフォークシンガーやギタリストから愛用されるようになる。スタジオミュージシャンの石川鷹彦は...
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Paul Read Smith / ポール・リード・スミス ポール・リード・スミス(Paul Reed Smith、略称:PRS)は、エレクトリックギターとエレクトリックベースを製造する、アメリカ合衆国の企業及びその創業者である。1985年設立。現在、社名としてはPRS Guitarsという表現を使用している。 フェンダーやギブソンなどの老舗ギターメーカーと比べると若いメーカーではあるが、組み込み精度や調整、演奏性など、楽器のクオリティは高く評価されており、愛用しているミュージシャンも数多い。エレクトリックギターの二大巨頭といわれるギブソン・レスポールとフェンダー・ストラトキャスターのそれぞれの長所を組み合わせた設計を主とし、マホガニーバックにメイプルトップというボディに、トレモロユニットとロッキングチューナーを搭載したCustomシリーズが主力機種である。デザイン面では、アーチトップボディ及びキルテッドメイプルやフレイムメイプルの木目を生かしたシースルーフィニッシュ、様々な鳥の飛行を象ったポジションマークなどが特徴として挙げられる。...
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Yamaha / ヤマハ ヤマハ株式会社は、静岡県浜松市に本社を置く、楽器や半導体、音響機器(オーディオ・ビジュアル)、スポーツ用品、自動車部品、ネットワーク機器の製造発売を手がける日本のメーカー。日経平均株価の構成銘柄のひとつ。1969年にピアノ生産台数で世界一となり、販売額ベースで現在でも世界首位である。このほかの楽器でも、ハーモニカやリコーダー、ピアニカといった学校教材用からエレクトリックギターやドラム、ヴァイオリン、チェロ、トランペット、サクソフォーンなど100種類以上もの楽器を生産する世界最大の総合楽器メーカーである。...
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Yairi / ヤイリ 株式会社ヤイリギター(Yairi Guitar )は、岐阜県可児市にあるアコースティックギターの製造会社で、自社ギターブランドであるK.Yairi(ケーヤイリ)・Alvarez yairi(アルバレツ・ヤイリ)の製造・販売を行っている。主力製品はアコースティックギターとエレクトリックアコースティックギターだが大正琴やウクレレ、ブズーキその他のギター以外の弦楽器も製造する。
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ESP / イーエスピー 株式会社イーエスピー(ESP Co.Ltd、Electric Sound Products)は、ギターを中心とする楽器製造および音楽関連事業、音楽教育事業などを展開する日本の企業である。 日本楽器製造を経てフジゲンでグレコの設計を担当する椎野秀聰が、渋谷尚武、moon創業者のMoony K Omoteらと共にギターメーカーとして1975年に創業した。医院を改装した渋谷のショップに森園勝敏、石間秀機、高中正義、大村憲司、徳武弘文、土屋昌巳らが訪れるなど経営は順調で、1977年に椎野とMoonyが退職して渋谷が代表を継いだ。1981年にアメリカへ進出し、ギターメーカーのKramerなどにボディやネックをOEMで供給した。1980年代のジャパニーズヘヴィメタルブームで業績が躍進し、Charはシグネチャーモデルを認め、ラウドネス、アクションなど多数のグループがギターを愛用する。ジャーニーのニール・ショーンのダブル・ネックギターを製作して注目され、ドッケンのジョージ・リンチ、キッスに在籍していたブルース・キューリック、メタリカのジェイムズ・ヘットフィールド、カーク・ハメットらが使用して知名...
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Music Man / ミュージックマン ミュージック・マン(英:Music Man )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンルイスオビスポ市のアーニー・ボール社のエレキギターやベース・ギターを製造販売する楽器ブランド。 レオ・フェンダーがフェンダーを辞職後に新たに創業したギターメーカーである。 ミュージック・マンは、1972年にフェンダーの創業者であるレオ・フェンダーやフェンダーのアンプの設計者であるトム・ウォーカーを初めとしたフェンダーの関係者によって立ち上げられたブランドである。フェンダーのブランドと企業を手放したレオ・フェンダーがこのブランドを立ち上げた理由は健康上の問題、そして、自身が「技術者として新製品を開発したい」という気持ちからであるという。 最初にミュージック・マンの名が入った製品はギターやベースではなく、アンプであった。最初に発売したHD-130と412GSはエリック・クラプトンなどが使用し、ブームを巻き起こした。その後、1976年にミュージック・マン初のギター・ベース、スティングレイを発表した。 ミュージック・マンは1984年に現在の経営元であるアーニー・ボールに経営移行した。その後、1986年に経...
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Peavey / ピーヴィー Peavey Electronics Corporation は、プロ用オーディオ機器の設計、開発、製造、販売を行うアメリカの企業。 世界最大のオーディオ機器メーカーの一つで、ミシシッピ州メリディアンに本社を構えている。
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Guild / ギルド ギルド・ギター・カンパニー(Guild Guitar Company)は、アメリカ合衆国のギターメーカー。1952年にアルフレッド・ドロンジ(Alfred Dronge)によってギルド・ギターズ(GUILD GUITARS)として設立された。1970年代前半に社名を変更してギルド・ミュージカル・インストルメンツ(GUILD MUSICAL INSTRUMENTS)。買収後に現社名に変更された。メーカー自身が「Guild」と大きくギターのヘッドや製品のラベルに記しており、日本の輸入販売代理店も「Guild」や「ギルド」と雑誌広告や公式サイトに記している為本国アメリカ合衆国や日本では略称で呼ばれることが多い。社名にあるギルドは中世から近世のヨーロッパの職業別組合の事を意味する。この場合は、手工業の職人組合の事。...
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Epiphone / エピフォン エピフォン(英語:Epiphone)は、ギブソン社傘下のギターブランドである。電気ギターにおけるトーンコントロールの初採用、初のダブルネック弦楽器やトラスロッド、トーン・エクスプレッサー(ワウペダル)、電子チューナー、ボリューム・ペダルなど多くの革新的な機能や機器を開発した。1941年にはレス・ポールがエピフォンの工場でソリッドギターの試作品の開発を開始。彼が製作したソリッドギターとして有名な「ログ」は、彼がエピフォンギターのパーツを多用し完成させた物である。1957年、ギブソン社に買収された。...
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BOSS / ボス ボス株式会社(英: BOSS Corporation)は、ローランドのグループ会社であり、エレクトリック・ギターおよびベース用のエフェクターを主に開発していた。1973年、大阪で創業されたメグ電子株式会社を前身とする。2018年、親会社のローランド株式会社に合併し解散。合併・解散後、BOSSはローランドにおけるエフェクター等のギター関連製品のブランドとなっている。
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Charvel / シャーベル シャーベル(英語名:Charvel)は、フェンダー子会社のジャクソン・シャーベル・マニュファクチャリングのギターブランド。80年代にディンキーと呼ばれるギターシェイプの代名詞を残した。
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Cher / シェール シェール(Cher [ˈʃɛər], 1946年5月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州エル・セントロ出身の歌手・女優。父親ジョン・サーキシアンはアルメニア系、母親ジャッキー・ジェーン・クラウチはチェロキー・インディアン、アイルランド、ドイツ等の血を引く[1]。両親はシェールが10ヵ月の時に離婚したが、その後も数回結婚・離婚を繰り返したという。母親は後にジョージア・ホルトの名前で女優としてテレビに出演するようになり、シェールも子供時代にエキストラとして出演したことがある。しかし母親の再婚・離婚に伴い転居の多い貧しい幼少時代であった。16歳で学校を中退し、ロサンゼルスに移って演技のクラスを受けるようになる。歌手のソニー・ボノに見出され18歳で彼と結婚。"ソニー&シェール"の名で活動を始め、「アイ・ガット・ユー・ベイブ」などがヒットしたが、1975年に離婚。デュオと並行して、1966年頃よりソロとしても活躍し始める。チェロキーの血筋を全面に押し出したイメージ戦略で「悲しきジプシー」「ハーフ・ブリード」「ダーク・レディ」(邦題は「悲しき恋占い」)など...
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Hachidai Nakamura / 中村八大 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。兄の中村二大(1921 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の附属児童学園に週2回通い、ピアノと作曲の英才教育を受ける。しかし、技術習得を重視するハードトレーニングの教育方針に疑問を抱き、学園でのレッスンをさぼって新宿、浅草などの劇場に足しげく通っていた[1]。1941年末に太平洋戦争が始まると、翌1942年には早くも帝都は空襲に見舞われ始め、音楽留学を続けるのは不可能になり、1943年夏、青島へ引き揚げた。...