Deep Purple / ディープ・パープル
ディープ・パープル(英語: Deep Purple)は、イングランド出身のハードロック・バンド。
日本ではレッド・ツェッペリンと並びハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後のハードロック、ヘヴィメタル・バンドにも大きな影響を与えた。1976年に一度解散したが、1984年に再結成した。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。
ボーカル/ベース/ギター/キーボード(特にハモンド・オルガン)/ドラムというメンバー構成で、ラウドなサウンドを使った演奏を繰り広げるハードロックの有名バンドである。代表曲には「ハッシュ」「ブラック・ナイト」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」(バーン)、「ウーマン・フロム・トーキョー」「スペース・トラッキン」「スピード・キング」「チャイルド・イン・タイム」などがある。アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。
本バンドの前身となったのは、サーチャーズ (The Searchers)の元メンバーでドラムとボーカルを担当していたクリス・カーティス (Chris Curtis) が結成を企図したラウンドアバウトというバンドである。
クリス・カーティスが最初にメンバーとして考えたのは、当時同じアパートに住んでいたジョン・ロードである。また、この時期の前後に、クリス・カーティスはトニー・エドワーズ (Tony Edwards) にマネージャーの就任を打診した。この当時、トニー・エドワーズはファッション関係の仕事をしていたが、同時にエイシア(Ayshea)という女性シンガーのマネージャーも手がけており、その関係でクリス・カーティスと知己があった。更にトニー・エドワーズの誘いによって、広告関係の仕事に携わっていたジョン・コレッタ (John Coletta) もマネージャーに加わり、ビジネス面での態勢は早くから整いつつあった(この当時、2人は5,000ポンドをバンドに投資しており、以後もビジネス面で様々な貢献を遂げている。今日に至るまで、この2人のマネージャーがバンドに果たした役割は非常に大きいと評価されている)。
一方、メンバーの人選は難航した。ジョン・ロードに続いて、当時ハンブルクで主にセッション活動をしていたギタリストのリッチー・ブラックモアにグループ加入を要請したものの、なかなか他のメンバーは定まらず、それでも特にマネージャーの2人が熱心にメンバー探しに奔走したが、ボビー・‘ウッドマン’・クラークがドラマーに選ばれた以外は進展せず、結局4人で活動を開始することになった。しかし、この陣容の人間関係は非常に不安定だったといわれており、更にバンドの発起人であるクリス・カーティスが失踪したことが重なり、ラウンドアバウトは一旦消滅した。しかし数ヵ月後、マネージャーの2人とロード、ブラックモアが再び集結し、ニック・シンパーをベースに、シンガーをオーディションによって選出した結果ロッド・エヴァンスにそれぞれ採用する。またロッド・エヴァンスのオーディションに同行していたのが同じメイズ (The Maze) というバンドにいたイアン・ペイスである。ブラックモアがハンブルクでペイスのプレイに接しており、その力量を十分に把握していたため、バンドは初代ドラマーのボビー・クラークを解雇し、ペイスを迎入れた。